あれから一週間が経った。
おれは先生たちに色々と教わったりしながらどんどんとこの見える世界のことを吸収していった。
そのお陰か先生たちからはあまり嫌な顔をされなくなった。これならきっとほかの子たちとも仲良くなれる。
おれもあの楽しげな輪に入っていける。そう思った。
いつもいじめてくる奴らの仲間になんて、とも思ったけど自分から踏み出さなければ何も変えられない。
おれは震えそうになる足をなんとか押さえつけて、外でボール遊びをしている集団に近づいた。
勇気を振り絞り、普段出さないような大きな声で呼びかける。
「お、おれも仲間に入れてよ。目が見えるようになったから足でまといにはならないよ」
「いやだよ」
少年の一人が冷たい目を向けてきっぱりとそう言った。
「何で!?」
「だってお前と一緒にいると呪われるって先生たち言ってたもん」
そうだそうだと、周りの子どもたちもそれに加わる。なんだよ、おれが一体なにをしたっていうんだよ。
「そんなの嘘っぱちだ!」
「嘘じゃねぇよ!そう言ってた先生がいなくなったの知ってるんだぞ!お前がやったんだろ!この悪魔め!」
確かに嫌いだと思っていた先生がいつの間にかいなくなっていたことが何回かあったけど、
そんなのおれのせいじゃない。あっちが怖くなって勝手に逃げ出しただけだろ。
「そうよ、あっちいけ!」
ガンと、頭に鈍い痛みが走る。地面に転がる石を見てそれが自分にぶつけられたんだと理解した。
結局、前となにも変わらない。
「……そうかよ、じゃあいいよ。お前らがおれのこといらないっていうならおれだってお前らなんかいらないよ!」
おまえらなんかいなくなっちまえよ。きえろ、きえろ、きえろ。きえうせろ。
頭が燃えるように熱い。さっき石を投げられてできた傷の熱のせいだろうか。
頭の中身がまるで沸騰したみたいだ。体の奥底から黒いものが溢れ出す。
おかしいな、黒いものはおじいさんが全部塗り替えてくれたはずなのに。
「なんだこれ!?うわあぁ!!!」
とても人間が出す音とは思えないような悲鳴が辺り一体に響いた。
おれを悪魔呼ばわりした奴の右腕がねじれて変な方向に曲がると、
そのままどろどろになってぼちゃりと気持ち悪い音を立てて落ちた。
「きゃああぁぁぁ」
今度は石を投げた女の子の黒い髪の毛が全部溶けて汚水のようにあたりに飛び散った。
眼球は泥団子のようになって、まるで排泄物のように汚らしく飛び出してきた。
それだけでは終わらない。そこにいた全ての子供たちが似たような現象に襲われている。
あまりの凄惨な光景に、思わず目を背ける。おれはこわくなった。
「う、嘘だ。そんな、おれ、違うんだ。おれはこんなこと望んでなんか……」
騒ぎを聞きつけて先生たちがやってきた。おれは助けを求めてそちらへと走った。先生へと手を伸ばす。
しかし、その手ははたき落とされ空を切った。先生の目は恐怖の色に染まっている。
まるで化け物を目の前にしたみたいに。
「せ、先生……」
「いやぁぁ!こっちに来ないで!」
行かないでよ、先生。おれのことを助けてよ。そう思った瞬間先生は地面に膝をついて倒れた。
……いや、もう膝から下がなくなっていた。
どうしよう、どうしようと思えば思う程状況が悪化していく。
頭の中は既に真っ白になっていた。何も考えられない。
「大丈夫、落ち着いて」
呆然と立ちすくんでいたおれの体を後ろから誰かが抱きしめた。
暖かい光がおれの黒い靄をかき消していく。恐る恐る振り向くとそこにはあのおじいさんの顔があった。
「ど、どうしよう!おれとんでもないことを!」
「安心しなさい、まだみんな生きている。私が彼らを助けるから君はここで待っていなさい」
そう言っておじいさんは倒れ伏した人たちの下へと行ってしまった。
その場に残されたおれは、おじいさんと一緒にやってきた騎士らしき人に教会へと連れていかれた。
机と椅子しかない部屋に入れられてどのくらい時間が経っただろうか。
ギィと音を立てて古い木製の扉が開いた。中に入ってきたのはおじいさんだった。
心なしか疲れた顔をしている。おじいさんはおれの正面にある椅子に腰を下ろした。
机を挟んで向かい合うような形になる。おれはうつむいたままでおじいさんの顔をまっすぐ見ることができずにいた。
「……おじいさん、おれ殺されちゃうのかな?」
机の木目を見ながらぽつりとおれは呟いた。不安でたまらなかった。あんなことをしでかしたんだ。
いくら子どもだからってただでは済まされない。なにより、おじいさんに責められるのが一番こわかった。
いつ怒鳴られるのかとびくびくしていると、その場の空気にそぐわない笑い声が聞こえてきた。
「はは、そんなことあるわけないだろう?君はなんにも悪くない」
おじいさんはおれのことを怒らなかった。騎士の人たちは散々おれのことを罵倒したのに。
でもそう言われても仕方のないことをした。そのことはおれが一番よく知っている。
「そんなことないよ。おれみんなにひどいことした。多分、気づかなかっただけで今までも」
あの男の子が言っていたように、いなくなった先生はみんな俺が知らないうちにけしていたのかもしれない。
そう思うと体の震えが止まらなくなった。
すると初めて会った日のように、おじいさんの暖かい手がおれの頭を優しく撫でた。
「確かにやった行為自体は許されないものかもしれないな。でも君自身が許されない存在ではないんだよ」
「そう、なの?」
おれはうつむいていた顔をあげて縋るようにおじいさんのことを見た。
そこには包み込むようなやさしい笑顔があった。思わず泣きそうになる。
「そうとも。少なくとも君はちゃんと自分のしたことが悪いことだって分かっているだろう?」
鼻をすすりながら小さく頷く。
「そうだけど、でもあいつらが悪いって、あいつらのせいだって思ってるところもあるんだ」
だからこんなことになってしまったんだ。しかも、未だにその思いは胸の中から消えてくれない。
「うん、それは仕方がない。今までの経緯を見ればそう思ってしまっても仕方がないところがあるからね」
おじいさんはそう言ってくれたがなんだかとても申し訳なかった。
「……ごめん、おじいさん。折角おじいさんがおれに光をくれたのに、
夢を持つことも人を好きになることもできそうにないや。みんなが言う通りおれは化け物だったんだから」
みんなの言うことが正しくて、おれの方が間違っていたんだ。
「そんなことはないよ。君はただ人に大切にされてこなかったからそう思えないだけなんだ。
無茶なことを言ったおじいさんが悪かったよ。辛い思いをさせたね」
そう言っておじいさんは椅子から立ち上がるとこちら側に回りこんで、
冷え切ったおれの体をぎゅっと抱きしめてくれた。
「だからこれからはおじいさんが君のことを愛してあげよう。君が人を愛せるようになるまで」
「本当に?」
おじいさんの胸に顔をうずめる。
「あぁ。だからもう自分のことを化け物だなんて言ったら駄目だよ?
君のその力もちゃんと方向性を考えて使えば希望へと繋がるものなのだから」
「あの力が……?」
あんな醜くて汚い力が希望になるっていうのか。
「そう、力自体に善悪はない。使うものの意志次第でどっちにも転ぶものなんだ。
だから、君はその力を誰かを護るために使いなさい」
おじいさんの言うことは難しくておれにはよくわからなかった。
でもきっと人として生きるのに大切なことなんだろうと思った。
「これをあげよう」
おじいさんはそう言っておれの右手首に銀色のブレスレットをつけた。
「これは?」
「君のその力が暴走しないお呪いが込められているんだ。お守りだよ。
それをつけている間はさっきみたいなことはもう起こらない」
銀色に輝くそれからは、おじいさんがおれを止めてくれた時に感じた光のようなものが発せられているようで、
おれをあの黒くて怖いものから守ってくれそうな気がした。いや、おじいさんがそう言うのならそうなんだろう。
「……ありがとう」
「そうだ、君の名前をまだ聞いていなかったね」
おれは顔をあげて自分の名前を言った。どうかこの人には自分のことを覚えていてもらいたいと思った。
「ライト。ライトっていうんだ。おじいさんは?」
「ライトか、いい名前だ。おじいさんはね」
俺はあの日を境に孤児院を出た。そして、教会付属の学校に通うようになるのと同時にそこの寮へと移り住んだ。
あの日の出来事は噂として学校の方にも広まっており、俺を見る周囲の視線は相変わらず冷たいものだった。
以前と違うのは面と向かって悪口を言ったり暴力を振るったりする者が、
ごく一部を除いていなくなったということぐらいだ。多分、俺のことを恐れているのだろう。
もちろん今の生活が辛くないとは言えないが、おじいさん、いや神様からもらったあの腕輪を見れば、
何があっても挫けずに頑張れた。辛いときは神様が言ってくれた言葉を思い出して自分を励ます。
たまに俺の元に顔を見せてくれる神様の存在だけが俺の支えだった。
そうして、神様が会いに来てくれるのを心待ちにする日々が続き、気づけば三年が経過していた。
「あっ!神様だ!」
学校から寮へと帰る途中で、教会の本部に向かう神様の姿を見つけた。
なんてラッキーなんだ。俺は飼い主を見つけた犬のように神様の元へと駆け寄る。
しかし、神様を守護する騎士連中が行く手を阻む。
「こら!神様になんて口利くんだお前!無礼だろう」
「……すみません」
口ではそう謝りながらも内心はこのケチめ、と悪態をついていた。騎士の連中は頭が固くて困る。
「いや、いいんだ。少し彼と話させてくれないか」
「……分かりました。神様がそうおっしゃるのなら」
神様の計らいで少しだけ時間をとってもらうことができた。さすが神様だ。
教会本部の裏庭にあるテラスへと場所を移し、紅茶とお菓子をつまみながら談笑する。
「元気にしていたかい?」
「うん!まだ俺の陰口言ってる奴がいるけど、俺も大人になったからな!広い心で見逃してやってるんだ」
とんと胸を叩いて自信たっぷりに笑った。
「そうか、ライト君は偉いなぁ」
「神様にもらったこれのお陰だよ」
右手首に光る宝物を見てそう言った。こいつがいつだって俺に力を与えてくれる。
「いいや、それはほんのきっかけに過ぎない。君の心が強くなったからだよ。
それは君自身の力だ。よく頑張ったね」
神様の言葉はいつだっておれの心を温かくしてくれる。ちょっとくすぐったい気もするけど。
「へへっ!ありがとう。あとな、俺、将来の夢ができたんだ!」
そう、ずっと前から神様に一番に言おうと思ってたことだ。早く言いたくてうずうずしてたまらない。
「ほう、なにかな?」
すうと息を吸い込む。
「教会の騎士になってみんなを護る仕事をやるんだ!俺の力はみんなを護ることに使えって神様言ってくれただろ?」
学校に入ってから俺は自分が何をしたいのか、何をするべきかについていつも考えていた。
そんな時、いつもある言葉が頭の中を過ぎった。それが、神様がくれたあの言葉だ。
ちらりと神様の表情をうかがう。
「ああ。それはいい夢だ。私も応援しているよ」
そう言って神様はにこりと笑ってくれた。
学校に入ってから、世界のこと、教会の仕組み、神様についてと色々なことを知った。
国と言う狭い枠に囚われず、世界という単位で活動し、困っている人がいれば誰にでも手を差し伸べる。
それが教会、そして神様だ。教会の騎士はそれを支える手足であり、みんなを護る盾でもある。
立派な仕事だ。人々を護りたいとかそんなことはまだよく考えられないけど、きっとこれが、
神様が俺に示してくれた進むべき道なんだと思っている。
それに俺も自分のことを救ってくれた神様の力になりたい。だから――
「本当!?絶対絶対世界一の騎士になるよ、俺!それでさ、神つきの騎士になるんだ。
そしたらずっと神様と一緒にいられるだろ?」
それこそが俺の夢だ。いつも神様の隣にいて神様をお護りする。
それはなんて誇らしげでなんて幸せなことなんだろう。
「そうだね、そうなれたらいいね」
神様は眉を下げて、どこか寂しそうに笑った。どうしてそんな顔をするのだろう。
「なってみせるさ!そうだ、明後日学校で剣術の大会があるんだ。よかったら見に来てよ」
俺が所属する騎士養成学科では、年に一度、初等部門、中等部門の括りで剣術大会が行われる。
そこで日頃の訓練の成果を披露しあうのだ。昨年は中等部に入ったばかりの年だったので、
最上級学年の奴に負けてしまったが今年はそんな失態はしない。
相手が上級生だろうが、絶対に勝ち抜いてやる。神様が見ていてくれれば負ける気がしない。だが。
「すまないねぇ、明日からは隣国での予定が入っているんだ」
答えはノーだった。
「……そっか。それじゃあ仕方ないな」
本当に来てもらえるなんて思ってはいなかったが、それでもショックなものはショックだった。
がっくりと肩の力が抜ける。だけどわがままを言っちゃいけない。神様だって忙しいんだ。
「寂しい思いをさせるね」
神様のブルーグレーの瞳が俺を見つめる。俺はいたたまれなくなって思わず目を逸らした。
「さっ、寂しくなんかないよ!俺はもうそんな子供じゃないし」
ぷいとそっぽを向く。
「今度会った時、大会の話詳しく聞かせてもらおうか」
神様はそう言って太陽のように温かい笑顔をみせてくれた。それだけでまた力が湧いてくる。
「あぁ!優勝してトロフィー見せてやるからな」
俺は拳をぐっと強く握る。
「期待しているよ」
「うん!」
神様と別れた後、気分良く寮に帰ろうとした時、背後から声をかけられた。
「ライト、見たぜぇ」
振り返るとそこには孤児院時代を共に過ごし、現在学校で同じクラスに所属している少年が立っていた。
「何だよ」
俺は昔からこいつのことが嫌いだったので、あっちに行けと言わんばかりに睨みつけてやる。
「お前、よく神様と話してるよな。今のうちから媚売っとこうってか?」
にやにやと憎たらしい笑みを浮かべながらそんなことを言ってきた。さっきの神様とのやり取りを見ていたのか。
「お前には関係ないだろ」
そう一刀両断すると、自室に帰ろうと奴に背を向けた。ぎゃあぎゃあと何か喚いているが無視する。
だが、どうしても聞き捨てならない言葉が耳に入ってきた。
「あっ、それともあれか?神様って実はペド野郎?お前顔だけはいいしなぁ」
頭にカッと血が上る。今なんと言ったんだ、こいつは。
「ふざけんなよ!俺のことはいくら悪く言ってもいいけど、神様のこと侮辱したら許さねぇからな!」
俺は奴に向かって体当たりをかまし突き飛ばすと、馬乗りになって拳を振り上げた。
「殴るのか?お前の力はみんなを守るためのものなんだろ?」
「くっ」
握りしめた拳が震える。その隙に、今度は俺が突き飛ばされ後方へと転がった。
「なぁ、ライト。お前なんか勘違いしてんじゃねーの?」
「何がだよ」
服についた土を払いながら立ち上がり前方の相手を睨む。
また、相手も同じように自分のことを見つめている。そして、吐き捨てるように言った。
「自分は神様に愛されてるーとか、大事にされてるーとか思っちゃってるわけ?
それは特別お前が可哀相な奴に見えたから哀れんで優しくしてくれてるだけなんだよ。それが神様の仕事だからな」
こんな奴の言葉を聞くことなんかない。そう思うのにどうしても聞き流すことができなかった。
「そんなんじゃない!ちゃんと俺のこと愛してくれるって言ったんだ!」
あいつの言葉をかき消すように大声で怒鳴る。そうだとも、同情なもんか。
いつも俺のことを慈愛に満ちた眼差しで見つめ、抱きしめてくれる神様の姿を思い起こす。
「はぁ?バッカじゃねーの?お前のどこに人から愛される要素があるんだよ。
過去にしでかしたこと忘れてんじゃねぇだろうな。お前のせいで俺は死に掛けたんだぜ」
ぐっと息が詰まりそうになる。三年前のあのおぞましき光景が脳裏を過ぎった。
「それは、確かに悪かったと思ってるけど、そもそもお前が俺のこと悪く言うからだろ」
「ほら、そうやってまた人のせいにして。何も変わってない。なんでこんな奴ばっかり……」
そいつは今にも泣き出しそうな顔をして言った。なんでお前の方がそんな顔をするんだ。
泣きたいのはこっちだと言いたかったが、少しだけ分かったような気がした。
「もしかして、お前も……」
寂しいだけなのかもしれない。俺と一緒で。
「うるせぇ!うるせぇ!いいか、下手に期待したって裏切られるだけなんだからな。
俺たちはみんな同じ穴のムジナだ。世間から、親から見放された人間なんだよ」
光の灯らない濁った目でこちらを恨めしそうに見ながら、泣き叫ぶように喚き散らした。
そんなことを俺に言ってどうすると言うのだ。まさか、お前に神様を渡せと言うのか。
そんなのは嫌だ。神様は俺のものだ。お前なんかには渡さない。
「ふん、お前はそうやって勝手に腐ってろよ。俺は必ず這い上がってやるからな」
お前と俺は違うんだ。俺は選ばれたんだ、神様に。
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